オクムラの歴史
オクムラヒストリー
文明開化の足音深まる江戸時代最後の年「西洋文衣食住」という本が出版されました。その中で<上草は家の中にて上草履同様の所に用ゆ>と、 上草にスリップルスとフリガナをふって紹介されたのが現在のスリッパの始まりです。また、 日本初のスリッパは医師シーボルトが、 伊藤杢之允に贈ったものと思われます。それは、 福沢諭吉が紹介した絵と驚くほど似ています。そのスリッパが日本独特の産物になったのは、開港まもない横浜が舞台でした。
創業者の奥村金次郎が、明治20年頃、帽子屋で働いておりました。帽子は、 欧米文化の導入が進むにつれ、 服装の洋風化と共にどんどん普及されていきました。金次郎は、 熱によって形を変える性質を持つ、帽子の素材、ウールのフェルトと筒状の形をした郵便物の封筒をアイデアのヒントとし、室内履きとしてのスリッパを開発、 そして明治28年、 スリッパ製造販売「奥村金次郎商店」を当時の東京浅草に創業しました。
そして、服装の洋装化と共に、スリッパは生活の中にどんどん普及していきました。のち二代目、 奥村梅次郎は本社を大阪に移し、 「奥村梅次郎商店」 として大阪でのスリッパの普及に努めました。梅次郎は、 本社を履き物文化の中心であった大阪の日本橋に移し、 会社名を「株式会社奥村商店」としました。
三代目、 奥村欣ーの代になり、 世の中はアメリカ文化の影響を受けインテリア空間における床材はフローリングとなりスリッパもそれと共に生活の中の必需品として位置づけられました。
四代目、 奥村圭司は、 スリッパの調達生産基地を日本から中国へと移し世界を視野に入れた戦略をうてる企業と位置づけました。高温多湿な高床式住居で独自の変化を繰り返している日本文化欧 米文化に強い影響力を受けながらも沓脱ぎ文化を捨てなかった日本人。その中で、 独自の企業の歴史を刻みました。
五代目、 鎌苅悦子は、 生産者側からスリッパを見るのではなく、使用する生活者側からの視点でスリッパを捉え、新しいスリッパを開発する事の重要性を企業体質の中に位置づけました。
明治28年 | 奥村金次郎 東京浅草にてスリッパ製造販売の 奥村金次郎商店を創業 |
昭和6年 | 二代 奥村梅次郎 大阪市東住吉区田辺にて 奥村梅次郎商店に社名変更 |
昭和28年 | 株式会社奥村商店 設立 |
昭和40年 | 三代 奥村欣一 代表取締役に就任 |
昭和54年 | 株式会社オクムラに社名変更 |
昭和56年 | 四代 奥村圭司 代表取締役に就任 |
昭和58年 | 本社を中央区日本橋に移転 |
昭和61年 | 泉佐野市大阪物流センター開設 |
平成元年1月 | 中国協力工場にて中国生産開始 |
平成7年 | 関東事業部開設/関東物流センター開設 |
平成14年11月 | 上海物流センター設立/大阪物流センター開設 |
平成18年8月 | 本社を浪速区日本橋東に移転 |
平成20年6月 | ライセンス事業部設立 |
平成24年6月 | 五代 鎌苅悦子 代表取締役に就任 |
平成28年5月 | 大阪物流・関東物流センター統合 |
平成29年9月 | センコーグループホールディングス株式会社傘下に入る |
平成29年9月 | 代表取締役 小川 雄司 就任 |
平成30年7月 | 上海物流センター 上海扇拡青浦倉庫に移転 |
令和2年11月 | 関東事業部を中央区日本橋久松町に移転 |